大切な友人が逝ってしまった

java-jaの偉大な幹事であり、僕の人生を変えてくれた友人である山城が亡くなった。
今日はその送別会であったので、遺族である妹さんにも了承の上、山城が亡くなったことについて公に話そうと思う。

僕がその訃報を聞いたのは12/4の16時ぐらいだった。ちょうどその日に山城が幹事のjava-ja忘年会が予定されていたので、まさかという思いがありつつ、どうにかしないとという思いで幹事を引き継いだ

とにかく集まった方に状況を説明し、よくわからないまま泣きながら家路についた。

山城は12月3日に事故にあって亡くなった。最後のツイートが

なので誤解を受けているが、このツイートと山城の死因に因果関係はない。彼が亡くなったのはこのツイートの3日後だ。

生前、幹事としてドタキャンを最も嫌っていた彼が、最後の最後で亡くなることでドタキャンをすることになるというのはなんという運命のいたずらだろう。まあでも

そういうことだ。

僕がjava-jaに参加したのは、
第一回チキチキ そろそろ Wicket について一言いっとくかが初めてなのだが、この場でid:yamashiro0217にであった。それから僕のエンジニア人生は大きく動きだすことになる。

当時、中堅のSIerでくすぶっていた僕に、ドワンゴへの転職を後押ししてくれたのも山城だ。転職後、id:yoshiori, id:yamashiro0217, id:t_yano, id:k-z-hというドリームチームで働かせてもらった。大変なことも多かったが、新しいこともたくさん学ぶことができた僕の原点ともいえるチームだった。そこでも、山城は新しく入った僕と率先してペアプロしてくれたし、コミュニケーションの中心として機能してくれていた。

僕はそんな山城が大好きだった。本人に言ったことはないけど。

仕事のことだけじゃなく、プライベートなこともたくさん話をした。山城のために看護婦さんを集めて花見会をしたこともあった。実らなったけど。

結果として、僕のFacebookの友人のうち、共通の友人が一番多いのは山城だ。僕の友人関係のうち170/384=44%ぐらいは山城が関係している縁だということになる。

そんな友人が逝ってしまった。なんということだろう。受け止めるには本当に時間がかかった。

生前、悪ふざけが大好きだった僕たちは、悪ふざけで彼を見送ることしかできなかった。その会が今日だった。LTをしたり、花火を上げたり、MBAでスイカ割りしたり、はたから見ると頭おかしいかもしれないが、でも僕たちにとって山城とお別れをするために必要な儀式だったんだ。

ありがとう山城。いつか、また。